前記事の補足ですが、
「怒らない私」は本当に、ここ数年の私です。
渡米してすぐのときは、結構自分の気に入らないことがあると不機嫌になってました。
しかも、自分が嫌だと思うことを素直に人に伝えられなくて、それを自分の中に溜め込んで、
それが溜まりに溜まったあかつきに反動で不機嫌MAXになるような迷惑な奴でした。
それが、留学生活の中で、
いろんなことを体験して、いろんな人とかかわっている中で、
昔の私のとげとげした部分が削られて、丸くなったんだと思います。
前ほど、「これは気に入らないっ!」って言うことがなくなった気がします。だから、昔ほどストレスもたまらないし、
何かあってもちょっとしたことなら、「もっとこうしてっ!」って言えるようになったり、他にはけ口を見つけられるようになったんだと思います。
それを思うと「ミッキーに会う」って言うのもあながちうそじゃない気が・・・wwwwwww
私は、完璧な人間じゃありません。
人に自分の考えは絶対正しいっ!って胸張っていえるような大きな人間じゃありません。
自分の中でも何が正しくて、何がいけないのかわからないときは多々あるし、すべてにおいて正しい人はいない。と思ってる。
世の中、正悪だけで決められることばかりではないことも。
生きていく中で、自分の中での、自分の理想像も日々変わり続けてます。
10年後、20年後、50年後の自分にとって見れば、今の私なんて、ただ青いだけのお子ちゃまかも知れない。
でも、今昔の自分を思ったときに、青かったとも思うけど、何も後先の失敗とかを考えずに、ただ自分のやりたいことに一直線になれた自分がすごいと思うこともある。
変わり続けてるんですよね。
人も、時代も。
だから、過去にとらわれてちゃいけない。
だけど、もし、今の自分の疑問を感じたら、過去を振り返って反省してみるのもいいかもしれない。
今、中国について深く勉強して、とても興味深いです。
他のクラスメイトは「このクラスめんどくさくて嫌い」って言ってますが、私は好きです。
確かに、留学生として、Readingと毎週In-classのEssayがあるのはちときついです。でも、留学生としての立場には甘えられないし、
それが苦にならないのは、やっぱり、私の専攻選択は間違ってなかったと思うことができました。
高校時代、歴史が苦手で、何でこんなことやらなきゃいけないのって思ってましたが、
長い歴史を持つ中国に興味を持ち、今現在世界で良くも悪くも大きな注目を浴びている中国を考えると、
過去を勉強することはとても大切なことなのだと実感しました。
私が小さいときは中国4000年なんて聞いていましたが、
今は中国6000年とか。。。どんどん伸びていく気がしますがw
その長い歴史の中で起こったすべてのことが、今の中国につながっていると思うと、すごいな〜って感心します。
中国の長い歴史が、今の中国を形作っているように、
今までの私の人生が、今の、そしてこれからの私を形作っていくのだともいます。
学生生活15年やってきて、今になってやっと、勉強することがすごく意義深いことに感じました。
今では、ここで習っていることを、これから社会に出て、生かしていきたいとも思えるようになりました。
高校まではどちらかというと、勉強をして、いい成績をとって褒められることが最優先でした。
日本の教育がそうゆう風潮になってきてしまっているんですね。ただいい成績取るだけ、いい大学に行きたいだけ。その先のことが何も見えないまま、学生生活を終えていく。
就職氷河期といわれる今でも、求人の数は、求職者の数より多いと聞きました。要は、社会が求めている人材と、職を求めている人材に格差があるのです。成績だけを求めてきた学生を、社会は必要としてない。
運良く就職できても、理想と現実の違いに疑問を覚える若者は、大体3年目を境に会社を辞めていくそうです。
一生懸命就職活動をして入ったはずなのに。
大学でも、ただ、やれといわれたことをやって、何とか試験もこなして、卒論もこなして、
大学で学んだことを社会に生かそうと思っている学生がいったい何人いるでしょうか?
これは、少し日本の社会のせいでもあると思います。新卒重視、学部不問。アメリカは、経験がものを言います。社会では即戦力が問われます。だから学生は、必死に勉強して技術を身につけようとするし、自分の学部に何らかのかかわりのある企業への就職を望む人が多いです。
こっちに来て専攻を聞かれると、次に聞かれる質問は「じゃあ、君はその専攻で将来何をやりたいの?」
日本でそれを考えて専攻の勉強をしてる人が、いったい何人いるでしょうか?
専攻を決めたときは、何らかの夢があったかもしれません。私もそうです。英語科へ行った人は、「通訳になりたい」とか「外国へ行きたい」とか、芸術科へ行った人は「絵描きになりたい」とか「漫画家になりたい」とか。でも、そこへ行くと、周りは全部同じ夢を追いかけてきた人たち。その中で優劣付けられて、結局夢をあきらめ、ダラダラと学生生活を送る。私は幸い、アメリカという大学に来ることができて、途中で専攻を変えることが可能でした。
でも、日本の大学だと、簡単なはなしではありません。
結局日本の企業も、専門職以外は特に学部も問わないので、とりあえずどこかの企業に入れればいいかなって学生が増える。
そんな学生雇っても、企業を引っ張ってゆける人材にはなりません。だから企業は人選に慎重になるし、企業が必要とする人材がいなければ、日本経済も発展していかないんだと思います。
これは、私にとっても同じこと。
社会に必要とされる人材になるためには、成績だけ追い求めていても仕方がないのです。
自分に価値を見出すことができないと、自信も付かない、
自信のない人間を、企業も欲しがりません。
多少、自己満足でも、自信過剰でも、なにか自分にはこれがあるって見つけられた人が強いんだと思います。
やってきたことが、大きいことか、小さいことか、そんなことは関係なくて、
その中で、自分はこれを学んだよって自信を持っていえることが大切なんですね。
今の日本では、年間3万人の自殺者がいるそうです。
自殺志願者となると、きっとかなりの数になるでしょう。
世界には、明日を生きたくても、食べるものもなく飢え死んでゆく人たちや、戦場で命を落としていく人々がいるのに、
どうして、豊かな日本では、自ら死を選ぶ人がこんなにも多いのでしょうか。
正直な話、私もとてつもなくつらい時期がありました。
だから、そんな人たちの気持ちが痛いほどわかるときがあります。
自分の生きる意味が見出せず。誰からも必要とされていないんだと思い。世界中で自分の見方をしてくれる人なんていないんだって自暴自棄になる。そんな現実から逃げ出したくなる衝動。
でも、本当にそうなのでしょうか。
この世の中に必要とされていない人はいない。
その時々の一喜一憂で、大切な命を投げ出さないでほしい。
今の日本の教育では、自分に価値を見出すことは難しいかもしれません。
でも、そんなときは、過去を振り返って欲しいです。
一緒に笑いあった仲間がいるなら、少なくともその仲間には必要である存在であったことを思い出して欲しいです。そのなかにきっと、その人の価値が隠されているはずだから。
大切な家族がいるなら、その家族の笑顔を思い出して欲しいです。そして、自分が何かしたときに、家族が喜んでくれた瞬間が一度でもあるなら、それがその人の生きている意味だと思うから。
少しの幸せでいいんです。完璧を求めたら、自分が嫌になる。
少しの幸せを感じる瞬間があるなら、自信を持って生きていけばいいと思う。
不景気とはいえど、日本はまだ豊かです。
そんな日本に住む人たちの心は、どうしてこんなにも飢えているのでしょうか?
少しでも、地球上で無駄に亡くなってゆく大切な命がなくなっていけばいいと思ってやみません。
と、また、話が大脱線してますがw
そんなことーーーー、こんなことーーーーーーと考えが膨らんじゃうのが、気まぐれなニコちゃんです笑
ではーーーー、いつの間にか3時とかになっちゃったので、
今日は本読んで寝ようと思ったけど、明日に備えて寝ます。
おやすみなさい